2017年05月18日

中国にとっての尖閣諸島問題


 ここのところ韓国の話題が続きましたので、今日は同じく東アジア地域にあります中国について、そしてそれも尖閣諸島に関して日本との間に生じている問題の解決へ向けて書かせていただこうと思います。

 中国は日本との間に尖閣諸島の領有権を巡る問題を抱えていらっしゃり、その尖閣諸島を巡る問題は最近悪化しているそうなのですが、解決策について結論から書いてみますと「どちらも領有権を持たないことになさる」か、あるいは早期解決に向けた現実的な方法としまして「島々を半分ずつに分け、どちらの国も尖閣諸島の半分の領有権を持つことになさる」という風になさるのが良いように思います。

 どちらも領有権を持たないようにすることが解決策としてあることを書きましたのは、そうすることは日本にとってはそうでなくても中国にとっては癒しとなり、そのため良策となりそうであることからなのですけれども、と言いますのもこの問題では、中国の方が我が者顔をしているように思われるということからで、そのためそのように書いています。

 日本政府はこのほど内閣官房のホームページに尖閣諸島での日本の領有権の正当性を示す資料を掲載なさったということですけれど、尖閣諸島を実効支配しているのは日本だそうですし、また自己中心的な人とどのようにしてお付き合いをすれば良いかというテーマで書かせていただきましたメールマガジン・スペースラブメッセージvol.262に、未だ中華思想の影響が及ぶ中国のことを書かせていただき、"中国には二つのものがあって初めて世界が成り立つといった(二つの)存在が相補しているという世界観が在る"ということを書きましたが、そのことも巡り巡って少なくとも少しは関係しているようにも思われることなのですが中国の方々には「我が者顔となるように生きてしまう」ということがしばしば見受けられるようで、そのようになさっておられますと、中国国内では通用しまた幸福も実現出来る生き方であるとしましても世界ではかえって調和を乱すことになると思われますので、これから世界各国との間にさらなる調和の実現を望まれるのでありましたら我が者顔となるほどになってしまうことについては変容することが必要となっているものと思います。

 中国と日本のどちらの国も尖閣諸島では領有権を持たないようにするということが中国にとって良いこととなるのは、そうなさいますと、所有権を無くしてどちらの国も我が物としなくなり、中国も我が物顔にならなくなれると思われるからです。この「どちらも持たないようにする」という方法や生き方は、汎いという世界観や価値観を持っていらっしゃる西洋諸国の方法に近いものなのですが、中国の方々もそのようなさるとこれまで欠けていた性質を育むことが出来るようにもなるのではないでしょうか。

 こういったことから中国にとっては、尖閣諸島の領有権に関しましてはどちらも持たないようにするのが最大の癒しに繋がる良策となりそうなのですが、現在のように日本と共に領有権の所有を巡って大きな争いとなっている現状を拝見しましたり、強固な譲らない姿勢を見ていますと、出来れば早い内に問題を収束させようとすると、どちらの国も持たないということは考えられないことかもしれませんし島々を半分ずつにしてどちらの国も領有権を半分ずつ持つことにするというのも解決策としてはあり得ることではないかと思います。尖閣諸島にはもともと日本人が住んでいらしたのでしたでしょうか、その上尚かつ今日本が実効支配しているのですから、領有権を中国と分かち合うことにするというのも日本にとってはおかしなこととも思いますが、これはあくまで中国の強硬な姿勢を見ての解決へ向けてのお話ともなっています。

 先ほど汎い世界観や価値観を持っていらっしゃるということで西洋のことを書かせていただきましたが、西洋では物事にある起源というものが重要視されますので、西洋的な手法を使って解決しようとしますと尖閣諸島は日本の所有島であるということになりそうですけれど、そういった西洋的な手法にも近いような方法を使っての中国にとっての癒しを考えた時には、中国がアジアの一国だからなのでしょうね、西洋的なことともまた少し違って来るような解決策が最善となりそうということには驚きを感じられると思いますし、また現代地球の主流地域のアフリカ大陸の国々は定規で線を引いたように分けられていることを思いますと、早期の解決策として半分に分けてしまうというのは、アフリカ諸国にとっては幸福な経緯のお話ではなくまた必ずしも良いことではないのかもしれませんが、アフリカ大陸の国々が欧米の方々によってそのように分けられたことと非常によく似ていることとなります。

 海に在る島の領有権というものは、そこから採れる海洋産物の取得に関わることでもあるかもしれませんので、例えばどちらの国も領有権を持たなくなったとしたなら、今度は別の国が持つことになるだけになるとか、また中国と日本以外の国々の間で争い事が生じて行くことになったりもするなど問題はもっと複雑かもしれないとも思いますけれど、尖閣諸島問題は中国の方々にとって癒しや変容が必要な側面を示しているものであり、また自国を癒すためのチャンスが到来していることを示しているとも考えられますので、争い事はやはり早期に解決出来た方が良く、中国と日本そして世界にとりましても平和が実現出来るような方向へこれからは事態が向かって行かれますことを心より願っています。
posted by Shinhime at 07:43| 日本と世界 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月10日

千葉県についてのお知らせ


 また日がより長くなって来ましたね。皆様も今日はどのようにお過ごしでしたか。

 今年2月に発行しました韓国の様々についてのメールマガジンには、朴槿恵前大統領のエピソードや女性がお婆さんとなることの韓国と日本の相違などについても書かせていただきましたが、こちらのブログには昨年末書かせていただきましたように、私個人のことになりますが現在の人生が余生と思っているということもありまして、これからはおばあちゃん生活を楽しみながら生きて行こうと思うようになっているのですけれども、どうすればそういったおばあちゃん生活を楽しく過ごせるのかについて知りたくもなり、それらしき女性に「(今のご生活は)いかがですか?」などとお聞きしてみたりしましたが、今のところはまだおばあちゃん生活自体は楽しいと思って過ごすことは出来ていません。一体これは楽しくなるものなのかとも思いますが、やはりおばあちゃん生活においても楽しく暮らして行こうと思います。

 ところで本日はとても残念なお知らせが一つあります。それは千葉県さんのことについてで、いよいよとなりということのように思われることなのですが、千葉県さんに黒味かがった灰色の暗雲が覆うようになって来ていることをつい先日に知りました。

 昨年11月には警告のようなメッセージもメールマガジンに書かせていただいたところでしたが、他者へも誠実に生きるための変容や進化については出来ないかあるいは出来なかったご様子で、暗雲にはもうすぐ空全体を覆い尽くすのかなと思われる動きが見えるような感じがしますので、千葉県の方々は本当にこれからもう少しは頑張って下されば、、と思いますし、応援したいとも思います。そして千葉県の方々は今少し声高になられるのをお止めになると良いのではないでしょうか。

 そして余談となりますが、先日人が持つことになる知識内容の変革のご提案をしました時に小説のことについても書かせていただいていましたが、もしも自分が小説を書くとしたなら、、ということを私も思ったことがあったのですけれど、しばらく前からのことで、森友学園問題を知る前からのことであり森と言っても関係の無いお話ですが、とある森に女性の死神(その役割としましては死ぬ少し前の生活を導いたり死期を知らせたりするもの)が入って行ったという物語を書きたくなっていたことがありました。

 そのような小説の導入部分は何か良さそうに感じられましたが、その後の展開に関しましては「私が書いても決して売れないのだろう」としか思えませんでしたのでそこから先のお話については考えなくなったのですけれども〜このことは予測のお話のようでいて実は真実ですね〜、この森というのは出来る事ならドイツのシュトゥットガルトの森として書けたら良いななどと思っていました。

 それでは今日は千葉県さんのことについてのお知らせを掲載させていただき、こういったお知らせは早い方が良いと思いましたので慌ててのお知らせともなってしまいましたが、有志の方々へは、もしもよろしければ事態の好転を願っての祈念などをお願い出来ましたらと思っています。どうぞよろしくお願い申し上げます。

※ 追記:韓国では文在寅氏が新大統領として就任なさったそうですね。文さんがもしも大統領になられたとしたなら日本にとっては前大統領時よりも厳しくなるとも言われていたようでしたが、韓国のことを考えますとまずはこれで本当に良かったと思います。3月にブログに書いたことがありましたように韓国の方々には近年いろいろなことで少しお疲れが見えるようですし、そういったことは国防にも関わることになりかねないことと思いますので、、ですのでまずはおめでとうございますと申し上げたいと思います。
posted by Shinhime at 01:48| 人生 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月04日

知識変革の具体案


 先日は人が持つことになるあらゆる知識の内容を変革するためのご提案について書かせていただきましたが、まだ少しお知らせしたいこともありますので今日も続きを書かせていただきます。

 先日掲載させていただきましたような知識内容の変革のためのご提案が、ドラマや映画や小説といった社会性のある世界からでなく個人的な世界から実現させようとしますと、変革初期の頃や何らかの過渡的な状況の時にはまた違って来るところが出て来るとは思いましたしこのことは最終的な形となるものとしてお聞きくださればと思うのですけれども、幸福ではない出来事が起きた時にもそのことを表現することが出来ず、幸福では無いとか幸福な実りには繋がらないと思われるようお考えやお気持ちをお持ちになった時にもそれらを表現出来ないということになります。その例としましては、悲しい出来事があったと想定しながらご説明しますと、悲しいと感じるような出来事そのものについてはほぼ表現出来ず、そしてまた悲しみその他の否定的とみなされるようなお考えやお気持ちなどは一切表現出来ないということになります。変革初期や何らかの過渡的な状況の際には、まだ幸福な出来事ばかりが生じるようにはなっていないことで、基本的には表現してはいけなくても書かざるを得ないとかお伝えせざるを得ない状況などの発生が考えられますが、そういった時には表現なさるにしましても内容を和らげるとか、他者に対して伝えるとしましたら、事実や真実とは異なることを話すことを相手の方に説明なさった上で、最終的な部分を幸福な内容にして締めくくるようになさるといった対処を行うことなどが適切となることが考えられることとしてあり得ることと思います。

 今日は個人的な世界からの変革の実現ということでまずはご説明してみましたが、人は個人でもありますしまた社会の中でも生きていますので、個人的な世界からであっても社会的な世界からであっても必要とされることや変革内容はやはり大体同じようなものになると思われるのですが、否定的な事柄や幸福にならないと思われることについては共通して表現出来なくなる中で、社会的なアプローチとしての歌や音楽の分野に関しましては例外とするような考えが私にはあるのですけれども、と言いますのは、例えば東北地方太平洋沖大地震のエピソードとして、震災のあまりの衝撃に涙が出ないまま数ヶ月を過ごされていた方がある日ある歌をお聴きになった時に初めて泣くことが出来たといったことをお聞きしたことがありましたけれども、人はそのように悲しいことがあった時にも歌を聴いて泣くなどすることによってそのままであれば暗いものとして内部に停滞しかねなかった感情やエネルギーを浄化して来られたと思いますし、またそのようにして浄化を完全に行うことによって次の段階へとすっきりした状態で進むことが出来て来たと思いますので、これは悲しい出来事が生じる前提の基にというお話になりますが、歌が無くなってしまったらそのように浄化が必要な時にもどのようにすれば良いかということになると思うのですけれども、例えばヒーリングによってもそういった事柄は浄化することが出来ますので、ご提案の変革を実現しようとするとしたならヒーリングのさらなる普及が望まれるとは思いますし、そのようにヒーリングが普及するまでの間は、そういったことで必要となることとして歌に関しましては(少なくともある程度は)残しておくということが良いように思われます。また歌を含む音楽全体の在り方としましては、(否定的な)詩のある歌を創作するのではなく、悲しみを含めた各苦しみそれぞれの浄化に有効な音で構成なされた楽曲を創作するということが出来る事であれば良く思われたり、それらの曲がスピリチュアルなレベルにも作用出来るような作品となっていれば尚良いのではないかと思います〜このことは、私の行っていますご提案の実現を考えなくても実現なされることが望ましいことではないかと思います〜。

 変革を実現する過程で歌をそのようにして残すことについて考えてみた時には、ドラマや映画のことも考えてみましたが、ドラマや映画には実際の人間や存在が登場して来られていますので可視化・見える化の度合いが高く、すべてがよく明確に(分かるように)なっていらっしゃるため、先ほど書きましたような各苦しみに対応なされている作品を創作するということについてでは、一般的で多くの人に適性を持つ作品を創作することも出来るとは思いますが、いろいろなことが明確に見え過ぎるようになっているために適性を持つ対象者の範囲がピンポイント的になり過ぎるようになり、いくら創作しても数が追いつかなくなることが予測出来ると思いましたし、また丁寧に細かく描いて表現している作品ほど適性を持つ人が少なくなって行くようにも思いますので非効率的に思われます。また浄化することについてを作品を観る側から見ると、どの作品を選べば浄化がなされるのかが分かりにくかったりしそうに思いましたし、適性のある作品がピンポイント的に存在するようになりそうということなのですが、あまりにも多くの作品が創られているためになかなか適切な作品に出会えなくなって観なかったりするということが考えられますので、歌や音楽と比較しますとやはり非効率的過ぎるものと思われます。また同じように小説についても考えてみましたが、小説は文章になっていますのでドラマや映画ほどには可視化・見える化がなされなくくそのため非効率的ではよりなくなると思いましたが、歌や音楽と比較した時には可視化・見える化の度合いはやはり高いため、こちらもどうか、、というところと思われました。音楽、特に詩の無い楽曲などは、可視化・見える化の度合いが非常に低く、個人の裁量に任される部分が非常にあると思いますし、時と場合によっては無限になることもあるものと思います。ですので例えばドラマ、映画、小説などと比較しますと、どのように聴き取るか(受け取るか、理解するかということ)は個人に任されやすく、また個人個人が適切に感じ入ればそれで良いものですので結果的にとても効率的になると思いますし、そのため浄化することや各苦しみに対応する作品の創作数もドラマ、映画、小説など比較しますと格段に少なくて済むと思います。

 歴史がそのままでは教えられなくなるということを考えますと実現の道筋が見えにくくなるヴィジョンと改めて思われたりしますし、歴史をどのようにして知れば良くなるかということに関しての変革での道筋は私にはまだ見えませんが、その他のことに関してでは、いずれ幸福な出来事ばかりが生まれ、成就するようになりましたら、否定的とみなされる出来事も幸福ではない表現もそして先ほど書きましたような浄化作用も殆ど必要の無いものとなるのでしょうし〜ただ人はどうしても死んだりしますので悲しみなど、感じざるを得ない感情や生じてしまう考えは一部残ってしまうのではないかと思いますが〜、変革に伴う苦労などもそれほどまでに大きな変革ですのでそれらが実現するまでの一時の過渡的なこととしてみんなで協力しながら耐えることが出来ればそれも良い気がいたしますし、知識の分野のこういった変革もそのように変わって変革が実現するほどに個人が幸福になられ、世界もより幸福な状態となって行くと思いますので本当に実現すると良いと思っています。

 そもそものこととして今回のご提案を書かせていただくきっかけになりました前々回のブログに書かせていただきました大学の教授をなさっていらっしゃる方の掲載文には、この私の記憶にはひょっとしましたら間違いもあるかもしれないのですけれども、その教授の方は、このことは昨年のまたその前の年のお話をなさっていらしたのではないかと思われますが、米国の(次期)大統領についての予測としてヒラリー・クリントンさんが勝利すると発表なさいましたところ、結果はそうならなかったあるいはそうなりそうにはないようだということで、これで自分の予測は外れたということになるのだけれども、予測というものはそれが発表なされることで相手や大衆に何らかの影響が及ぶ(のではないか)という内容が表現なされていたように記憶しているのですけれど、米国の大統領(前)選挙の際にヒラリーさんが敗北なさったことは、ご本人や応援なさっていらした方々にとって幸福では無かった出来事と思いますが、そういった幸福では無かった出来事というものは、この宇宙では、先日のメールマガジンにも書かせていただきましたエピソードのイスオリオテのユダさんのようにカルマを作ってしまうということを始めとして、そういった幸福ではない物事や幸福にならなかった試みがあるからこそ何が素晴らしく何がそうではないのかをはっきりと分かることが出来るようになっていると思いますし、この宇宙がそのような仕組みになっていることにつきましては、その仕組みの中で何が素晴らしく何がそうではないかということをある程度は分かるようになり、その結果とも言えることと思いますけれどここでとても幸福に暮らせている者としましては心からの尊敬を感じる仕組みであることもあって、私もご提案内容のような変革もこの宇宙のそういった仕組みともよく調和して機能するものとなるとまた本当に良いと思いますし、そしてまた今回のご提案は、例えば比較検討をして価値在る物事や本当の自分などを知ることのための小さく細かい否定的な物事や幸福では無い出来事(の積み重ね)に関するお話ではなく、先ほど書きました掲載文を書かれていらした大学教授の方のように予測が外れるということも含めて個々の出来事を超えたもっと大きな見方としての、否定的な物事や幸福では無い出来事についての枠組みや仕組みをこれからどのようにすべきなのかということに関することと思いますので、皆様にもこれからもよろしくご検討下さいますようにお願い申し上げたいと思います。


 最近はまた、ひと頃よりも暖かさが増して来ましたね。こちらでは、前回のブログにはつくしのことも書かせていただきましたが、そのつくしが一面に生えていた所には、また新しく(見えるように)草がすくすくと育って来ましたし、他にもよく知らないような花々も沢山咲いて来るようになっているようです。そのように草や花がすくすくと成長しているのを見ていますと「今年もまた夏がやって来る」ということを実感することが出来ますね。

 それではご提案の方をどうぞよろしくご検討下さいますように。そして皆様もご体調には充分にお気をつけられて、楽しい春の一日をお過ごしください。
posted by Shinhime at 07:52| 人生 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする