2015年01月20日

清少納言の枕草子

 今、枕草子という古典を読んでいて、当時の清少納言が書かれたことに共感したり、作者の憂いや悲しみが分かるような文章を読んでいますが、別の方による解説付きの本ですので、作者が「ここでは自分一人の心におのずと思い浮かんでくる事柄を戯れ半分に書いたものであるから、世人の批評の的となる物語作品などとは比肩できるものではない」ということを言っているところへ「もとよりこのあたりの行文には作者の謙遜と自負とが入り混じっているが」といった説明がなされていたりするのを見ると、清少納言さんは本当にただそう思っていただけではないかなと思ったりしましたし、また、そういった箇所が結構ありました。

 このことのみ見ると解説の見方が正しいのだろうと思いましたが、清少納言さんがもしこういった評価を聞いたとしたら怒ってしまわれるのではと思われる解説もありましたので、自分に置き換えてみると「(このように書かれるのだったら)公表しなければ良かった」と思うと思います。

 ただ清少納言さんももう生まれ変わっていらっしゃるでしょうから(康保3年頃・966年頃に誕生)、作者への否定的な影響に関することには解説者に責任もかからないと思われるので、古典作品を解説するというのは例外はあるでしょうけれども解説を読む人に対してはあっても作者への責任が無くて良いですし、こちらも軽い気持ちで読めるため良い読み物と思います。

 清少納言さんは心におのずと思い浮かんでくることを書いたとのことでしたが、表現に関わることで、フランス紙テロ襲撃事件が先日起きましたね。犠牲になった方々にはご冥福をお祈り申し上げます。

 この事件は、表現の自由へのテロということで報道されていますが、その表現というものの源には自分とか自己いうものがあると思います。

 これまでの欧米的な世界観や価値観の中では、他者ではなく自分というものを考え方や生き方の第一の最も中心に置いて来ているようですが、自分というものをそうまでして中心に置かなくてもご自身も人生も大丈夫であるということを伝えてあげたく、また、これまでのように自分を中心に置き過ぎているとこれからも同じような出来事が発生するでしょうから、欧米社会の人々や同様の価値観を持つ人にとっては、自分というものをどこまで中心に置くべきかについて考え直し、より幸せになれる方向へ変容して行くことが大事になって来ていると思います。

 枕草子やフランス紙テロ襲撃事件とは違って個人的な事になりますが、個人的な表現に関する悩みには、自分をどのように表現するようになればより成功出来る人になれるかといったことが常に在るものですが、その悩みに、普通であれば具体的なアドバイスを行うと有効なケースも多い中で、まずは自己をもっと深く受容することから始めなければならないし、それが出来るほど問題が解決されて行くという種類の人がいます。

 アドバイスする方にとっては「自分をもっと深く受容することによって道が開けたり、表現の悩みが解決出来たりしますよ」というメッセージがやや抽象的で分かりにくいと感じられても、そういった方々にとってはすぐに分かったり、理解して変えて行くことが出来るというものなのでしょうね。
posted by Shinhime at 20:00| 文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年04月07日

村上春樹さんがノーベル文学賞を受賞するには

もうすぐ新作を発表される村上さんですが、昨年からノーベル文学賞を受賞する方法について思っていましたら、前回も書きましたようにやはり東京奇譚集の路線が最も受賞出来る可能性が高いと思うようになりました。

ノーベル賞は世界的な賞ですので、出来るだけ多くの人々へ訴えかけられる作品を創られた方が受賞しやすくなると思いますが、村上さんが最も広く世界の人々へ届く作品を創るとしたなら、万国共通で誰もが経験する死(ぬこと)を含んだ不思議なお話の路線が最も良いと思います。

以前読んだ村上さんの小説に出てくる人(そのお話の主人公だったかもしれません)が、"人生のある時期に雑誌の占いコーナーの担当をしていたのだけれども、適当なことを書いていたら結構評判が良く、、"といったようなお話があり、そのとき私は何かおかしなことが書かれてあるといった印象を持ちました。占いというのは、適当なことを言ったところで結構な評判になるほどには当たることはありませんし、問題を解決出来たりすることもないからです。

ですがその後他の小説を読む内に、あの違和感を感じたエピソードは、村上さんご自身かあるいは村上さんの一部分について書かれていたところだったのだろうと思うようになりました。村上さんが、人としてのセンスが非常に優れている方であることや作品での個人的な分野の事柄についてのお話は他の誰も真似することが出来ないレベルの普遍的なものとして創られていることなどを知る内に、きっと村上さんは(公ではない)個人的な分野の事柄についてでは、心や考えを読み取ったり優れたセンスによって問題を解決することが他の人より簡単に出来るのだろうと思いましたし、未来の予知についても、個人的な分野のことや個人的なことが分かれば出来る範囲のことならある程度かそれ以上に出来る方なのだろうと思ったのです。

公ではない個人的な分野の事柄ついてではと書きましたのは、どの小説を読んでも、どんなに深く高く広がりを持っている時でも、その内容はあくまでも個人的なものに終始しているように思ったからで、公の事柄についてはさほど得意な方ではないのだろうと思いました。例えばオウム真理教の事件に衝撃を受けたということでしたが、誰もが衝撃を受けるような事件だったと思いますが、公の事象に関するセンスは個人的な事柄に関するもののレベルと全く違っていますので、個人的な範囲を超えていたあの事件についてはすぐには分からなかったし解決することも出来なかったのではと思います。

村上さんは掘り下げ方も素晴らしいので、個人的な分野の事柄でならとても多くの人に訴えかけられるくらいに広がりを持つ作品を創られて来ていると思いますが、グローバル化した現代では、公的な視点やセンスがある作品の方がどうしても目立ってしまうと思います。かと言って今から公的なセンスを育んだり高めたりするよりは、全くの公的な分野ではありませんが個人的な範囲に止まらない分野の事象の死を含む不思議な事柄について書かれたら、最も広く訴えかけられる作品を創ることが出来るのではと思います。

そういったことで、やはり東京奇譚集のような、誰もが経験する死が含まれるような内容の作品を創られれば、今の村上さんに出来る最上に公的な作品が仕上がると思いました。
posted by Shinhime at 22:02| 文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年10月14日

村上春樹さんは"東京奇譚集"の路線で

先日ノーベル文学賞の受賞者が決定しましたが、同じく有力候補として挙げられていた村上春樹さんではなく、中国の中国の莫言さんが受賞なさいました。莫言さんは体制内批判者だそうですが、どのような立場の方の受賞にしても、自分らしさを長い間喪失している中国にとっては喜ばしいことでしょうから本当に良かったと思います。莫言さん、おめでとうございます。

私は以前から村上春樹さんの小説のファンですので、今度また日本が受賞候補地区になった時には是非とも受賞出来ればと願っていますので、次は必ず獲得するための方法について考えてみました。そうするとやはり2007年に発刊された"東京奇譚集"のような作品を主軸にして書かれて行くことかなと思いました。

"東京奇譚集"は不思議なお話についての小説ですが、これほど美しい文章で書かれた不思議なお話はどこにも無いと思いますし、内容も文章が美しいせいでしょうか、とても興味深くて面白く感じましたし、また今後のスピリチュアルな方向性にも合っているとも思いますので、こういった内容を主軸のものとして書かれて行かれたらきっと受賞出来ると思います。

例えばもし10年後に日本が受賞候補地区になるとしたなら、その頃には現在より村上さんの作品はもっと受け入れられるようになっていると思いますし、今は私もまだ少し時期ではないかなと思っていましたが、次には受賞出来そうに思いますので今後も素敵な作品をお書きになっていただきたく思っています。

-村上春樹氏のノーベル賞見送り、これで良かったという理由-冷泉彰彦氏(ニューズウィーク日本版)の記事
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20121012-00000301-newsweek-int
posted by Shinhime at 00:02| 文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする